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山梨県内で小学校の教諭をされ、ご自身も小学生のお子さんをお持ちのAさんに、コラムを連載していただきます。未来を担う子供達が「生きる力」を身につけるため、教育の現場や家庭において大人達がどのように導き、また手助けしたらよいのかヒントになることと思います。
第13回(2004.11.02)
「
躾・・・しつづけること
」
先日、小学校のクラスメートから電話がありました。卒業してから一度も会っていない上。私が引っ越しているので、どうして電話番号が分かったのか、話の最中不思議でなりませんでした。
彼女の電話は、クラス会を開く予定があるかという切り出しでした。全くその予定はなく帰宅したばかりなので、子どもの夕食の支度をしなければならないと言ったのですが、彼女は昔の仲間に聴いてもらいたいことがある、是非クラス会をひらいて欲しいと言いました。それから、彼女の訴えが始まりました。母親に虐待され、小中学校時代自分が自分ではない振る舞いをしていた、ここで、自分の汚名を濯ぎたい、自分は普通の人間だったんだと分かってもらいたいと言うのです。
母親の虐待は凄まじく、テストで0点をとると水風呂に入れられたり、犬の檻にいれられて、水や熱いお湯をかけられたりしたそうです。母親の機嫌を損ねると、それは凄い虐待を受けたと言いました。彼女の母親は怒り方が怖いという噂を聞いたことがありました。当時の担任の先生は、私の大好きな先生でした。○○先生には相談したのかと尋ねると、話したがそんなことないよと袖にも引っ掛けてくれなかったそうです。彼女の訴えは、30分以上続きました。ゲンナリ・・・・・
でも、当時も今の児童虐待と何ら変わりは無かったと感じました。虐待やネグレクトを受けている子は、言動面で疑問を感じることが多かれ少なかれあります。今まで虐待で関わった子達はほとんどそうです。虐待が明るみに出ると、お決まりのように「躾でやったこと」と加害者の親は
言いますよね。
「躾って、叩いて殴って身に付くものではありません。よく先輩の教師が、「箸の持ち方を教えるのには、繰り返し根気強く教え続けること。靴の脱ぎ方、歯磨きなども教え続けること。そう、躾ってし続けることよ。」と話して頂いた事が今でも覚えています。
私も息子に躾なくっちゃと思うときがあります。例えば、息子が汚い言葉を使った時、注意すると、もっと反抗するのでそれを諫めようとして、だんだんエスカレートして叩いてしまうことがあります。その私自身の状況を何処かで「これは叱っているのじゃなく、虐待?!」と思ってしまうことがあります。こんなふうに、叩いて躾るのは、殴り続けなければならなくなってしまうのではないでしょうか。
子どもを叱っていて、大きな声を出したら、私は子どもから離れて別の場所に行くことにしています。
第12回(2004.09.21)
「 ふ〜、夏休み 」
今年、どんな夏休みを過ごされたでしょう。私は、息子のことで謝ってばかりの夏休みでした。
「ここは、○○さんち?ちょっと、うちの孫がお宅の子どもにいじめられて!!!」
『え〜、また〜?!!』
いじめられたと言う子の御婆様が、鼻息も荒く乗り込んできました。一応私も謝りましたが、一方的に御婆様は我が息子を責め立てます。(息子は、相手の子の御婆様が追いかけてきたので、トンズラしました。)そこへ、我が家のバアバさまが登場です。はじめはやはり謝っていましたが、
「うちの子ども(孫だよ)も、何かなきゃ手は出さないと思いますよ。」
隣で聞いていて、はらはらの私。相手の子は、ただ黙って下を向くだけでした。
ここは、うちのバアバさまに任せて、息子を捕まえに行きました。1時間程して、帰ってきた息子の言い分を聴きました。夏休み前にやられたことを、思い出したからだそうです。今まで、悪口を言われたり、蹴られたり、帽子を溝に落とされたりetc…まあ、息子もその時点ではやり返したそうです。たまたま、その日息子が遊んでいたときに、彼が通りかかったので、悪口を言っただけで、殴っても蹴ってもいないと訴えます。我が家のバアバさまの話では、帽子が泥だらけになっていたことがあったそうです。でも、やられたことなど一言も話していませんでした。
その御婆様は、孫が友達と喧嘩する度に、いろんな子を怒りとばしているそうです。孫は無条件に可愛いと言いますが…。
私も何だかムカムカしてきました。言われっぱなしでも良いものではないゾ。
「お母さんと一緒に行こう。」息子と2人で相手のうちにむかいました。
お母様は、私をずっと睨み続けています。相手の子は、さっきと違って意気揚々と胸を張っています。私もお母様の視線から目は離しません。
一方的に息子が非難されるのを暫く聞いてから、
「うちの子にも何か理由があると思います。それから、うちの子は、喧嘩をして、手を出したら出したと正直に言います。先週も◎◎君と喧嘩しましたけどね、◎◎君から殴ってきたにしても謝りました。子ども同士のことだから、その後仲良くなりますけど。私は、やったことを正直に言える子だと信じていますから。」それから、息子から、やられたこと、特に帽子をドブに落とされて、謝ってもくれず拾ってもくれなかったことをいわせました。帽子の件に関して
「うちの子は、そのことに関して、一言も話しません。何故帽子をドブに落としたかは、君も、今までうちの息子にやられてきたことが、悔しかったんだよね。だから、帽子をドブに落としたんだよね。気持ちは、分かるよ。うちの子も良くないところがあるんだから。ごめんね。」と私が謝り、息子にも謝らせました。でも、私がただ謝ってばかりだったら、息子の気持ちはへこんでしまいます。私は、息子がトンズラしている間に、息子がどうしてそうしたのか、考える時間があっただけ、良かったと思っています。
勿論、息子のやったことは許し難いことです。私も反省しております。息子も、他人から、こっぴどく怒られるのは、良い経験ででした。
現在、2学期が始まって、その子とはトラブルもなく、会うと「バイバイ〜」と言って子どもなりの挨拶をしてはいるそうです。もし、あの時、息子の気持ちを考えず、頭ごなしに叱って、無理に謝らせたら、相手の子に悪い感情しか根付かなかったのではないでしょうか。その後も、同じようなトラブルを繰り返しているかも。(今後どうなるか少し心配ですが)
子どもが、何かしでかしてしまったら、「どうして、なぜ、そんなことをするの!!」と言う前に、一呼吸も二呼吸もして、心の中で『どうしてこの子はこんなことをするのだろう?』と考えることは、やっぱり大切だなと思いました。時には、子どもの心の中を、親の言葉で代弁して、聞かせてあげることも大事なんですね。
その他にも、夏休み中、色々な方にご迷惑をかけ、謝らねばならないことはいくつかありました。それは、後日……。
第11回(2004.05.21)
「
連絡帳を使って
」
学校が大好きで、熱があっても、歩けないような大怪我をしていても、学校へ行ってしまう息子が、登校を渋るようになってしまいました。「まさか…」汗・あせ・アセでした。
思い当たることは、担任の先生?クラス替えがあり、仲良しのお友だちは、ほとんど隣のクラス。クラブも第一希望が通らず、お友だちとは息子だけ違うクラブに所属することになりガックリしていた息子。初めての授業参観は仕事の都合で参観できなず、息子の学校へ行くことがあった時、私まで厳しく注意されました。先生曰く、『私のレベルに到達していない。』「えっ!わたしが?」それは、母親らしいことはあまりしていないから?学年便りに書いてあるのに、うっかり授業に必要なものを忘れていることも。私も落ち込んでしまいました。
こんな時、息子を叱ることができず、「お母さん先生から叱られちゃった。ごめんね。お母さんがいけないところがあって。」と謝ってしまいました。すると、息子は「お母さん、クラスのみんな全員すっごくおこられるんだよ。大丈夫だよ、まだお母さん1回しかおこられてないじゃん。」と慰め?てくれました。
そこで、どんな時先生に注意されるのかを息子から聴いてみました。
授業中、後ろを向いて話をしている時。
掃除をさぼっている時
友だちにいたずらする時
忘れ物をする時
宿題忘れの時
喧嘩をする時
う〜ん。どの先生でも注意するけど…。
息子は、凄く叱られても、カラッとしているので、私も変な意味、安心しているところがありました。今までの担任の先生からも、同じ事でこっぴどく叱られてきたのに、今更どうして、と考えてしまいました。心が成長したから?
夜更けまで、息子の話を聴きました。先生が注意したくなるのも当然だけど、ここはグッと押さえて、「よく話してくれたね。お母さん嬉しかった。明日、学校に行きたくなかったら、行かなくても良いよ。」と言うと、「…おやすみ…」と言って寝てしまいました。
連絡帳には、『原因は先生』等とは書けませんが、登校を渋ることを相談のかたちで書きました。あっけらかんとしているように見えても、繊細な心を持っている事も分かってもらおうとしました。欠かせないのは、とてもお世話になっていること・息子が授業を受ける基本的な態度が育っていないお詫び等も付け加えました。
何年か前から、お家からの連絡の中で、いきなり本文が書かれている事が多くなってきました。(連絡帳を見ないおうちの方も増えているので、まだいいいです。)私も読んでいてあまり気分の良くない連絡帳があります。こういった連絡は、返事は電話にしておきます。大抵、深い意味はない事が多いのです。文章は相手にどう取られるかがわかりません。相手の情緒がどんなかでも。
話は息子の件からずれましたが、担任の先生との遣り取りを連絡帳や電話などで沢山話をし、息子も学校へ行くことができるようになりました。
厳しい担任になることは、マイナス面ばかりではありません。こんな事がなければ、息子と長い間真剣に話はしなかったでしょう。全学年までは宿題を学校から持って帰ってこない方が多かった息子も、自ら進んで宿題をするようになり、母親の私が忘れていることでも、覚えて学校へ持っていきます。
駄目な母親にとっては、良いチャンスでした。
第10回(2004.01.29)
「
新年早々 私って・・・・・
」
2004年の幕開けです。年頭に当たって、皆さまは、色々と目標などお持ちだと思います。今年の元旦の初詣は、暖冬でもあることから、例年の2倍以上だということでした。
私も、住んでいる地域の神社やお寺を、息子と廻ろうと大晦日に話をしていました。しかし、元旦の朝お雑煮を食べ終わって、「さあ、初詣!」・・・とはいきませんでした。身支度をするのがとてもおっくう、家から出たくないのです。
どうも、ここ2・3日私は攻撃的な言動が多いのです。また、12月中旬を過ぎてから職場では、いつもなら何でもないちょっとした誰かの一言で、落ち込む等神経過敏になっていました。
私は、新年早々意気低迷してしまったのです。
こんな時は、自分で「今、うつ状態だ。焦らない、こだわらない。」と言い聞かせ、1時間ほどぐっすりお昼寝です。テレビをボーッとみたり、犬と遊んでみたりました。洗濯物も無造作にたたんでタンスの中へ。「こんな日もあるさ、偶々元旦じゃない。」と思いました。いつもなら、数分で終わってしまう作業も時間ばかりかけてしまうことだってあるさ、と考えます。
私の2004年は、「自分の思うように事が運ばなくても仕方ない」<うつ>になったら<うつ>を楽しみながら焦らないことを目標にしてみます。あせると、家族にあたってしまう事が増えるからです。
第9回(2004.01.03)
「言葉のシャワー」
2003年は心が痛むような犯罪事件がありました。被害者になった子、加害者になった子。虐待された子ども達など。どれも目を覆い、耳を塞ぎたくなりました。また、自殺者及び自殺願望者は、年々増加しているそうです。
先日、仕事をしながら深夜の報道番組をかけていた時のことです。ブルセラショップに娘が使用した下着を、売りにくる母親がいるのだそうです。絶句でした。こんな痛ましい事件や事象は、私たちのごく身近で頻繁に起きているのでしょうか。まず、「マスコミにとっては、これが商品。私たちは情報に振り回されてはいないか。」ということを頭に置いておく必要はあります。
子ども達は、みんな一生懸命生きています。私は、子ども達に「生まれてきてよかった。自分のからだっていいな。」と感じられる時間が必要だ思います。「親子だからそんなこと言わなくてもわかるよ。」と思わないで、言葉で伝えることは大事です。でも、家庭では気恥ずかしくて・・・ということが多いでしょう。だから、学校でも命の教育・生教育が大切なんだと思います。
以前から、このコラムで親御さん達を不安にさせるような内容を、多く扱ってきたと思います。でも、過酷な子どもの世界を、少しでも気付いていただいて、「よく頑張ってるね。」というメッセージを子ども達に伝えて欲しいと思っています。
SMAPの「世界で一つだけの花」や、中島みゆきさんの「地上の星」がこれだけ指示されるのも、歌詞の中に心の欲求が満たされるメッセージがあるから。親の声で「あなたは、宝・生まれてきてくれてありがとう・おなかの中にあなたのいのちが始まったと知ったとき、今までに味わったこともないような幸せだった・だいすきよ・・・・」等々の言葉のシャワーを浴びせてください。自分のことをとても大切にするようになります。命を大切にするようになります。そう信じましょう。
第8回(2003.11.12)
「気の持ちよう」
子どもの成長に親としての悩みや不安はつきものです。乳児期にはミルクの飲む量が少ない・好き嫌いがある等、入園・入学後はお友だち関係で・・・と親としての悩みはつきません。また、親は社会の中の1個人です。色々なシガラミのなかで生きていますから、自分自身の悩みもやっぱり尽きることはないですね。
前回にもお話ししましたが、息子には悩まされっぱなしです。時には、自律神経がやられてしまうこともあります。ホームドクター(我が家で我が親族で絶大なる信頼を持っているドクター)に点滴をしていただかなくては立ち上がれなくなるほどで、「親って、苦しいものなんだ。」と思うことも。それに私は、ネガティブな性格で、「この失敗はどうしてどうしてなの?」といつも心の中でリフレインしています。職場での人間関係においてもイライラくよくよすることが多々あります。
そんな私の目に飛び込んできたのが『小さいことにくよくよするな!』(リチャード・カールソン著小沢瑞穂訳サンマーク文庫)という本でした。『小さなことにくよくよしない癖を身につけると、人生がもっと穏やかにそして愛情豊かに生きることができる。』なんて見れば、読みたくなるでしょ?私は読み始めて「うん、うん。そう、そう。」と行を追いながら首を縦に振りました。
ちょっと目次を紹介します。
頭で悩みごとのゆきだるまを作らない
1年たてば、すべて過去
「できない」と言うとできなくなる
人生をメロドラマにしない
幸せは今いる場所にある
落ち込みは優雅にやりすごす
等々
100の小センテンスで書かれています。ささっと読めます。まあ、著者が米国人ですので「?」と思うところもありますが。当たり前のことが書いてあるのに、改めて納得させられます。とかく、各々職種や趣味に沿った本を選びがちで、前回も教育書的な本を私も紹介しましたが、子育て中にはこんな本もお薦めかなと思いました。
息子のことでクヨクヨばかりしていた私も、「こんなことは、私と息子の人生の中でそんなに重要ではないな。」と考えることができるようになりました。また、仕事でも、「私でなきゃできない。」なんて力むこともなくなり、ゆったりと子どもたちに接することができてるなと感じています。ホームドクターでの点滴もしなくてすんでいます。
この本の中にも、毎日少なくとも1人、いいところをほめるという項があります。私は、目があってお互いに数十秒時間があれば、その子や同僚をほめようと心がけています。本当は、家族を一番ほめ、感謝するともっと幸せになれるますよね。
第7回(2003.9.29)
「息子と私の夏の思い出」
私たちは、社会の中で人と関わり合いながら生きています。その関わりの中で、人間から人として成長するのだなと実感することが多々あった夏でした。
一人っ子の息子は、とても不器用な子どもです。間が悪いというか、何か問題が起こると、その場にいなくても息子の名前が出てくるのです。まあ、普段から色々な悪さに関わっているのでしょう。
息子がいるから学校へ行けないと訴えるクラスメートがいたことも、息子の方が沢山殴られているのに、その友だちの母親から苦情の電話がかかってくることもあります。『すみません』と謝らない週がないくらいです。お友だち関係さえうまくいってくれたら何も望まない、と思うくらい悩みました。
息子が所属しているスポーツ少年団での出来事です。夏休み中に試合があり、同じチームの子と喧嘩になったそうです。現場を見ていなかった私は、にべもなく息子を責めました。でも、そこにいるお母様が割って入って「落ち着いて!!○○君(息子)が悪いんじゃないのよ!」と私を制しました。また、別のお母様が「喧嘩の相手はね、今朝から態度がよくないんだよ。あの子のお母さんに言ってくるから。○○君(息子)の気が済まないようだったら、決着つけさせなよ。」喧嘩の相手のお母様も「またやっての!ごめんね。いいよ、やりたいだけやって。ぶんなぐりな。」
一応、教育者の私としては・・・・・為すすべがありませんでした。なんとも、肝っ玉のでかい母ちゃんたちでした。息子は面目が立ち、相手の子は自分のしでかしてきた朝からのことに、多くの母ちゃんたちからブレーキをかけてもらい、試合中も2人で並んで一緒にいました。
その日は、私が何人かのお母様に息子の悩みを相談したのです。いつもと反対です。保護者から相談を受け、解決法の糸口を見つける役をしている私が、肝っ玉の座った母ちゃんたちから母親としての『私』を忌憚なく分析してもらいました。それがまた、的を得て、すんなり私の心に落ちるのです。みんな温かい母ちゃんの言葉でした。
こんなお母さんばかりだったら、子どもたちも生きやすいのになと実感しました。私は心満ちた日でした。息子の中でも何か変わったのでしょう。翌日には喧嘩した子と遊んだり、スポ少への意気込みが違ったりしています。
先日紹介していただいた、富田富士也さんという方の本の中で『せめぎ合って、折り合って、お互いさま』「わが子を透明な存在にしないための50の知恵/ハート出版」という言葉が蘇ります。
第6回(2003.9.08)
子どもって大変!
息子の友だちの家族と出かけたときのことです。ここ数年とても仲良くしていただいているご家族です。上のお兄ちゃんとも、小学校の高学年の頃からよく一緒に遊んでいます。お兄ちゃんは、お母様ともとても仲が良かったのです。しかし、この夏休み前ころから、お母様に対してとても反抗的になりました。お二人の遣り取りを見ているのが辛くなるときがあるくらいです。
遠出をしたので、子どもたちが皆車中で眠ってしまってから、お母様が話し始めました。お兄ちゃんがお友だち関係で苦しんでいることを。この、お兄ちゃんはとても運動能力が高く、部活動でも中学1年生でレギュラーに選ばれました。そのことが、同級生の反感をかったのでしょう。いじめに近いいやがらせが始まりました。先輩にも顧問の先生にも気付いてもらえないのです。それは、いじめの中心になっている子が、お兄ちゃんととても仲良くしているからなのだそうです。お母様は、このことが理解できないようです。
「息子のことが嫌なら、無視してくれればずっと楽なのに。」とおっしゃいます。違うグループへも行くことができないのです。
中学生だから、こんなこともあると思われることでしょう。実は、小学校の低学年から、同じような話は耳にするのです。子どもの連絡網があって、「○○ちゃんと話をしないようにしようね。」と電話がくるのだそうです。そして、次の子に回していく。その、言い出しっぺの子は、○○ちゃんの家に足繁く遊びに行くのです。言い出した良心の呵責とは感じられません。私の知っている子は、ご両親にも「○○ちゃんが、私にこんなことをするから、学校へ行きたくない。」と訴えるのだそうです。その訴えがどこまで真実なのかと疑ってしまうようなことです。
こんなことを書いてしまって、不安になられた方も多くいらっしゃると思いますが、子どもたちは、そんななかでも一生懸命に生活しています。カウンセリングの研修でも、「教師は、自分の子供時代や思春期の時こうだったからとあてはめて考えてはいけません。それが、一番いけないことです。」と言われます。教師から観ても、とても、過酷な仲間関係の中にいる子どもたちです。
大人だったら、何がどう嫌なのか、不満なのかなど、ある程度言葉に表すことができます。そして、愚痴をこぼせる人がいるのですが、子どもたちは、自分の感情をうまく表現できないのです。愚痴をこぼせば「大人社会では、もっと嫌なことがあるぞ。」などといわれてしまうんです。大人は、励ますつもりで子どもに言っても、お説教にしかなりません。大人の方が「仕事・働く」という看板を掲げているだけ、子どもより逃げ道があるように思うのは、私だけでしょうか。
親になるって、修行の道なのでしょうか?(座禅を1度しかしたことがありませんが・・・・・うちは禅宗ではないです)
第5回(2003.7.28)
親として・おとなとして。
神戸の児童連続殺傷事件の被告が、社会復帰のために施設を移ったということがメディアを騒がせたのも束の間、長崎の幼児誘拐殺人事件がおこりました。連日、「子どもが危ない時代」に近いタイトルでTV・新聞などで子どもたちの現状を取り上げているものを目にします。
本当に子どもが危ないのでしょうか。私は、子どもよりも「おとなが危ない・親が危ない」のではないかと強く感じています。親として・おとなとして・ひととして、私たちは子どもの前で言動に十分注意しているといえるでしょうか。もう一度考えてみたいと思います。
「子どもだから、言ってもわからないだろう。」と平気で誰かの噂話等してはいないでしょうか。TVのバラエティー番組等で、人を困らせたり、体や心を傷つけたりする場面で、おとなが大笑いしてはいないでしょうか。幼少年期の視覚聴覚から入ってくる情報は、脳に衝撃的な刺激になるそうです。今の社会では情報をシャットアウトする事は不可能です。では、どうするか。それは、子どもたちが情報を取捨選択できる能力を養うことです。難しいことではなく、誰かをからかったり、人の揚げ足をとったりするような場面では、「なんか、こういうの見ると悲しくなっちゃうね。」と一言添えることが大切です。見せないのではなく。もし、こんなことをあなたが誰かにしていたら、すごく悲しくなるよと伝えること。TVの言葉よりも、子どもにとっては親の声は心に響くでしょう。胎児の頃から一番耳に入ってくる声ですから。
第4回(2003.6.1)
「生きる力」を身に付けるために。
2002年度から新しい学力観をもとに、新しい教育が始まりましたね。やっと1年が経ちました。勿論、殆どの学校では、導入にあたって前年度までにカリキュラムを整えたり、【総合的な学習】については、数年前から研究してきました。この、総合的な学習のねらいとしては、子ども達に本当の『生きる力』をつけることです。
さて、『生きる力』とは・・・・・日本中の教師が考えました。そして、学校独自で、現場からとらえた『生きる力』をもとに、カリキュラムを編成し、研究し実践してきました。昨年度、文部科学省からの号令でスタートしたとたん「やっぱり・・・・・」とどの教師も思うことがでてきました。
例えば、調べ学習で辞書が引けない。それ以前にどの本や図鑑などで調べて良いかわからない。社会見学で色々な職種の方に聞き取りにいっても、話がわからない。話したいことがうまく伝わらないなどの子ども達がいかに多いこと。それもですが、自分にとって、興味があることってなんだろう???・・・となってしまいます。
『基礎基本』は大事なんです。昔から、『読み書き算』といわれていることです。どなたもピンとくるはずです。私は、この3つに中で、幼児期の頃から『読み』に力をいれておられる親御さんが増えればいいなと願います。そして、『きちんと話をさせる』子どもにするために、『話し終わるまでゆっくり待つ』親になって欲しいなと思います。よく、子どもさんの話を最後まで聴かないで、子どもさんの言いたいことを親御さんが先に言ってしまっている場面を見ます。私も臨床心理士の先生から注意されたことがあります。それは、いい親ではない。子どもをダメにする親だと。(そうそう、私はダメな親の見本だと言うことは追々お話しすることとして。)
『読み』+『話す』ことは、基礎基本の一番のものだと感じます。よく本を読む子は、算数の応用問題もつまずきが少ないようです。だからといって、難しい本をむりやり読ませないようにしましょう。本を読まない子には、絵本からはじめればよいのです。また、親子で国語の本読みを楽しんでやってみるなど。(親御さんが読んでみたり、交代で読んでみたり)
次に、『書き』と『算』は繰り返しも大事ですが、ここで重要になってくるのが、『生活習慣』だと感じます。子どもの学習能力を高めるために規則正しい生活を送ることだといわれています。朝食をしっかりとる。しかも、穀物は必ずとる。朝6時までに起床する。等々。
よーく考えてみると、一概に基礎基本といっても、子どもの『生活の基礎基本』はとても大事なんだなと感じています。 もし、お時間があるようでしたら、参考に 本当の学力をつける本 陰山英男著 をお読みになってもよいでしょう。「家庭でできること」編は、参考になります。(私の家ではほとんどできていませんが。)
第3回(2003.4.28)
「新学期がスタートして」
新学期がスタートして、1ヶ月がすぎました。この間、親御さんは、どんな言葉をお子さんにかけてきましたか。
「もう、1年生なんだから!」「中学生でしょう!」「○○年生なんだから!!」と大人は間単に使います。しかし、聞いている子ども達にとっては、反抗したくなるような、どん底へ突き落とされそうになるような言葉だとお気づきでしょうか。
新学期というのは、子ども達にとっても、教師にとっても緊張します。そして、「よしっ!!・・・・・!!!!」と意気込むときでもあります。そして、日々、夜になると疲れがでてきて、週末には疲労が・・・4月の終わりにはドッと・・・・・
息子のランドセルを毎朝持ちますが、ズンと重いのです。ひどい肩こり症の私は、「こんな重いものを毎朝背負って学校まで行くなんて、偉いな。」と思っています。そして、45分の授業を1日に4〜6時間もしてくるんですよ。頑張ってますよね。手がかじかんでくる寒〜い冬の朝も、朝から25℃以上もある暑〜い真夏の日でも、毎日学校へ行くんです。重いおもいランドセルと荷物を持って。
子どもだからって、毎日楽しいことばかりではありません。お友だちの関係だって、親の時代とは比べものにならないくらい複雑です。情報の量が多い今、子ども達の耳に入ってくる言葉は、想像を以上に多いのです。耳年増なんて、古い言葉ですが意味を知らなくても言葉がどんどん子どもの耳に入ってきます。小学校1年生の子どもでも、『◇君と◎ちゃんはフリン(不倫)してるんだ〜。』と意味も使い方もわからずに、『フリン(不倫)』という言葉を使います。小学校低学年でも、気持ちの面でもずっと大人に近いものを持っていると思っていいと感じています。大人の、子どもに対する言葉がけには十分配慮があっていいのです。
「がんばってるね。」と認めてあげること。そして、お子さんの目をみて、伝えてあげることが、「もう○○年生でしょ!!」と叱咤激励するよりも、心のパワーになるのではないでしょうか。
第2回(2003.2.9)
「お母さんそのシワシワやめて。」
子どもさんを叱っている時の顔を鏡でみたことがありますか?
叱らない親御さんでも普段子どもさんを見るときの顔は、どんな顔をしているか意識したことがありますか?
子どもさんがまだ赤ちゃんだった頃、自分をみつめる我が子にどんな顔をしていたか思い出せますか?きっとあなたは、我が子が見つめている間、この上なく温かいまなざしで我が子を見つめていたことでしょう。このまなざしのキャッチの積み重ねが親子の関係を深く信頼度の高いものにしていくのではないでしょうか。
ここのところ、「おかあさん、このシワシワをやめて!!」と私の眉間に触りながら息子に言われます。きっと、般若のような顔をしていたのでしょう。ちょっと、鏡を見ながらやってみました。自分でも、こんな顔ができるのだと感心してしまいました。般若よりすごい。
息子の成長にしたがって、どうしても要求が高まってしまいます。「お友達のAちゃんはもっとできるのに・・・」「すごくドン臭い・・・」「ダメだって言っているのに、どうしてわからないんだろう。」と心配している時も不安に思う時も、眉間にシワシワができているのでしょう。最近、眉間に縦皺がクッキリ刻み込まれています。
赤ちゃんだった頃、こんな顔で我が子を見たことなかったなあ。鏡を見ながら反省しました。こんな顔で見られていた息子はかわいそうでした。
『あなたは、あなたであればいい』
『あなたがいるから、しあわせよ』
そう伝えてあげなければ、子どもは、生きていく力が出せないよ。
これは、わたしの尊敬する方の言葉です。
そう、ウリのようなナスのようなわたしの息子です。メロンになることを望んでは息子がかわいそうです。
第1回(2003.1.14)
「子供にとって幸せとは。」
子供の幸せを願わない親はいません。
子供の幸せ・・・この子の幸せって・・・教室で、学校で良い点をとること?!そこそこの?ちょっとしたレベルの高い大学に入ること?!それは、親の安心で子供の幸せとは違います。
どこにも上には上がいるものです。「あいつはすげ〜」といえるか「あいつがいるから成績が下がったんだ!」という考え方の違いで幸せが近いか遠くなるかが変わってくるような。学校現場でそんなことを感じることが多いのです。
その子のもって生まれた性格でしょうか?それもあるでしょうが、最近私が思うのは、3つの要素の違いではないかなと思うのです。1つは、その子が所属していると実感できる集団の数。2つ目は、ものすごく集中できる好きなモノを持っていること。3つ目は、見守れる親や大人の存在です。
所属する集団の数が多すぎるのも問題ですが、スポーツでも文化芸術面でも、その子の存在を認めてくれる誰かいて、安心できる集団であればよいと思います。また、集団や好きなことは、普遍的なものではなくても、その子に合った流動的なものでいいのでもいいのではないでしょうか。
ここで大切なのは、親がつかず離れずを終始することです。あまりに勝ち負けやその集団のなかで秀でることを願い、競争心をあおるのは危険です。
その集団や好きなことで、親ではなく本人が満足感・達成感・成就感を持てることが大切なのです。それが自己実現であり、幸せに近づくことだと思います。
また。様々な集団に所属し異年令の人々や自分と違った物の見方をする人たちと接することで、コミュニケーションスキルが涵養されるのです。
自分である・自分でいいんだと認められること、これこそ「よりよく生きよう」という命の原動力だと考えています。
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