英語を小学生から勉強したきっかけを教えてください。
私は幼稚園のころから外国に行って知らない人達に会うことが夢でした。そのためには英語が話せないと困ることだけは知っていましたが、世界には私が知っている日本語と英語しか無いと思っていました。それで意味のわからない言葉は英語だと思い込み、デタラメ語を話すようになりました。でもまもなくデタラメ語が英語ではないことがわかり、英語を学ぶチャンスを探し始めましたが、見つかりませんでした。私が唯一英語に触れることが出来たのは中学生であった兄と姉が家で英語を復習している時でした。
ききかじりの英語で、たまたま出合ったアメリカ兵や、町を歩いていた外国人の船員をつかまえて話しかけたら通じたこと
が、私の英語熱に拍車をかけました。小学校4,5年の時でした。
英語を独学でマスターしたそうですが、どんな方法でしょうか。
我が家は貧乏なので英語を習いに行くことも出来ず、まわりに
英語を話す人は一人もいませんでした。そこで思いついたのが
英会話のレコードを買って、その英語を全部覚えてしまうことで
した。小学校6年の夏休みころ、母親にお願いして一生に一度
のプレゼントとしてレコードを買ってもらいました。その日から毎
日4〜5時間レコードの両面を聞きました。最初は早すぎて全然
聞き取れませんでしたが、やがて真似が出来るようになり、1年
後には似た発音で同じスピードで全ての英語が言えるようになっていました。又中学校1年の入学式の日に、教会でアメリカ人宣
教師が無料で英会話を教えてくれるという案内を見、宣教師に出合ったことも私にとって大きなことでした。
最初に通訳をされたのはいつですか。
中学校2年の終わりころには私がかなり自由に英語を話すように
なっていたことを知っていた宣教師は、3年生の始めから毎週1回
私を自宅に招いて、通訳になるためのレッスンをしてくれました。といっても彼は通訳の専門家ではなく、ひたすら聖書の内容を英語
で解説したのです。もちろん彼の英語の説明は全部理解できました。
高校1年生の最初の日曜日に、彼は私に英語のメッセージを日本語に通訳するように命じました。最初は予め英語の原稿をもらい、日本語に訳し、その日本語を丸暗記する所から始まりましたが、やがては原稿には無いことを言ったり、要約だけをよこすようになって
行きました。そして高校3年生のころには、即席の通訳をするケースが増えました。大学時代の学費と生活費の大半は、通訳のアルバイトでまかなうこととなりました。
大学3年の時、米国映画 “Who cares ?” の主役に抜擢されたそうですね。
映画のことなど眼中になかったのですが、お世話になった宣教師から
ある日突然電話があり、アメリカの映画会社が日本を舞台にした
映画を撮影するために日本に来たが、日本人のプロの俳優でまとも
な英語を話す人をなかなか見つけられないで困っているので、
1度監督に会いに行くようにと言われました。通訳のアルバイトになる
かもという軽い気持ちでホテルでアメリカ人監督に会って色々話して
いるうちに、「貴方は何日ほど休学できるか?」と質問されました。
まさか私を主役に決めたなどと想像もしませんでしたが、監督は真剣
に私の起用を考えていたのです。トヨタ自動車の社員である「一郎」という主人公の心の葛藤を描いた映画だったのですが、私は大学に事情を説明し、5週間の休学許可をもらい、愛知県の豊田に行き、本当
に撮影が始まったのです。上映はアメリカ本土でだけだったので、私は完成した映画を見ていません。でも学費半年分くらいの謝礼をもらい、
ルンルン気分で大学に戻ったことを覚えています。
通訳のお仕事の他に、英語の教育書やユニークな発音矯正具などの開発もされていますね。最近では、Eラーニングの分野でもご活躍とか。
本格的な仕事として英会話学校を開きましたが、やがて時空を超えた
英語教育をしたいと願うようになり、英会話学校を閉じ、英語関連の
本を執筆し(すでに20冊ほど出版しています)、NHKならびに民放のテレビやラジオで「Dr.キノシタの面白英語塾」なる番組をやらせていただくようになりました。
ReaL Stick という英語のLとRの発音矯正具が、私の最初の発明品で、ほとんどのテレビ局で紹介されました。
第二の特許申請となったのが、YouCanSpeak です。これはスピーキングのメカニズムの解明を基に、だれでも思ったことが瞬間的に英語
で言えるようになるという画期的な eラーニングです。早い人は半年で、ゆっくりめでも1年で英語がペラペラになるシステムです。今は
このシステムの普及に全力をあげています。これが普及すれば、日本は変わります。
http://www.youcanspeak.net/
お仕事以外に何か趣味(あるいはライフワークなど)があれば教えてください。
私の本当の夢は、全世界を見ることと、人々に生きる喜びとその方法
を伝えることです。その両方が同時に出来れば最高です。今私と家内は、年に最低3回は海外に行くことを目標に、がんばっています。
人々に生きる喜びとその方法を伝えることの一つとして、無料英語バイブル講座なるものを主催しています。又異業種交流の VIP International
を主催したり、拉致被害者救出のための「ブルーリボンの祈りの会」に
も属しています。去年11月末には拉致家族代表の横田ご夫妻を韮崎の文化ホールにお迎えし、1200もの人に集まっていただき、救出のための山梨大決起大会をやらせていただきました。
ユニークな発想で英語の普及活動をされているDr.キノシタに英語取得のためのヒントを教えていただきました。白州の自然溢れるご自宅も暮らしぶりも日本のスケールを超えて、まるでアメリカンハウスに招待されているような気分になりました。こちらで毎月一回無料英会話教室を主催されています。